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映画『CURE』

最初の方で佐久間は「殺人はいけないという価値観を持っている人間に、催眠術で人を殺させるのは無理だ」という内容のセリフを口にしている。しかし、間宮は催眠術によって人を殺人に導く。何故これが可能なのか。

間宮は本部長の藤原に「あんたは誰だ」と聞き、それに動揺する警察関係者を「最低」と評する。社会性、関係性に埋没し、それらを取り払ったところにある「本当の自分」について理解できそうもない警察関係者を間宮は軽蔑し、それとは逆に警察官でも夫でもない本音を吐露する高部を「あんたすごいよ」と賞賛する。間宮の催眠術、メスメリスムの影響を受けた儀式としての催眠術は、人間の社会的側面を剥奪したところにある「本当の自分」をさらけ出すことを目的としているので、「殺人はいけない」という社会によって形作られる倫理的規制を乗り越えることができるのである。
このように間宮の伝導によって癒され、「本当の自分の欲望」を解放させた大半の殺人者は、しかし殺人後再度社会性に埋没してしまう。殺したことを後悔し、殺人について言い訳をし、「本当の自分」を肯定しない。しかし、高部は違う。(おそらくは)重荷になっていた妻を殺し、元気いっぱいにレストランで肉を食う姿は、癒されたことで解放された「本当の自分」を満喫し、充実感にみなぎっている。間宮が高部を賞賛し事あるごとに特別視する理由は、この「本当の自分」を肯定できる存在だと見抜いたからである。
この映画では、普通に日常で生活しているように見える人々が、社会性を剥ぎ取られるといともたやすく人を殺すさまが描かれており、人間をこのように描くことで、この映画を見ている人間の日常の中にも潜在的な殺人者が潜んでいることを匂わせて終わる。
面白い映画だったが、あらゆる他者が潜在的な殺人者であるとかは、まあ当然だろという感覚もあって別段怖いとは思わなかった。屋根裏の散歩者かよって感じ。当然だという感覚がむしろやばいのか。いや、やばいな。やばいです。すいませんでした。
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『風立ちぬ』作品論

零戦のような男

一、 歴史的事実とリアリズム
 冒頭の夢想的な飛行シーンと、分厚い瓶底眼鏡が少年期の堀越二郎を象徴的に表現している。彼は田舎の豪邸の蚊帳の中で夢を見ている。外界から何重にも守られた温室の中でまっすぐ育つ、夢見がちな少年として描かれるわけだ。関東大震災は、そんな夢と現が交錯する大正末期の少年と、九十年後の我々とをつなぐ架け橋として機能する。誰もが知っている関東大震災という歴史的事件のディテールを、この映画は詳細に復元していると思われる。道幅が狭すぎて将棋倒しに倒れる民家、火事によって発生した竜巻の遠景、神社で倒れる灯篭、俯瞰視点で描かれる都心部の混乱。堀越青年と菜穂子はその中を駆け巡る。
 この映画は基本的に堀越二郎を中心に描いており、映像の中でも最も多いのが堀越二郎の顔だろう。そして、その堀越二郎が惹かれ続けた飛行機もまた、たくさん描かれている。しかし、そのどちらでもないにも関わらず、関東大震災の描写は細かく、細部まで描かれている。また、汽車が爆発すると早合点し逃げる乗客や、避難先の神社で倒れる灯篭に驚く人、荷物を持って都市の中を逃げ惑う人々など、堀越青年と菜穂子を離れてそこに暮らしたその他の人々がクローズアップされている。この映画は観客を作品世界に没入させるための道具立てとして、関東大震災に見舞われた東京のディテールを描いている。そうしたディテールへのこだわりは、その後も飛行機を牛で運ぶといったユーモラスなエピソードや、シベリアパン、二郎と菜穂子の結婚シーンにおける婚礼の儀式など、当時の風俗を描く描写で所々に発揮されている。引き込んだ作品世界を最後まで支えるのもまた、歴史的事実を元にしたディテールの描写なのである。

二、堀越二郎の人物造形
 主人公の堀越二郎は、夢を一途に追う男である。それは、魚の骨に飛行機の部品を想起してしまう程に徹底している。周辺にいる家族や友人に優しさは見せるが、あくまで自身の飛行機に乗りたい、目が悪くてそれが不可能だと知ってからは飛行機を設計したい、という夢を優先し、そのためには他のことを犠牲にするところがある。
 妹と遊んでやらない少年時代、一度も実家に帰らない学生時代、早く学校に行くために名も明かさず立ち去ってしまう菜穂子との出会い。軽井沢での静養以外では関東大震災後に一度だけ上野を訪ねたのが唯一の例外で、それも実にそっけなく語られる。結核で喀血した菜穂子に会いに行く途中でも、仕事の手を休めることはないし、家で結核の末期患者である妻が待っていると知っていても、誰よりも遅くまで仕事をしている。作中、彼は少年時代に魅せられた夢に向かって進むことを基本的には止めない人間として描かれている。
 まるで、冒頭の分厚い瓶底眼鏡ごしに見る歪んだ堀越少年視点が、堀越少年のライフコースだけでなく人生に対する姿勢までも決めてしまったかのように、堀越二郎は歪みを伴いながら夢という焦点に向かって進み続ける。
 
三、美しい風景
 そんな人生の全てを飛行機に捧げる男が、一敗地に塗れて訪れるのが軽井沢である。カストルプが言うように、軽井沢は「全てを忘れさせてくれる」「魔の山」である。ここでも最初堀越は親切さを見せはするものの、簡潔でそっけない。
 その後急速に堀越と菜穂子の恋愛は進展するが、それは軽井沢の美しい自然の風景の中で進行する。カプローニの夢の風景は美しさと陽気さ、そして少しの残酷さを伴って描かれるが、恋愛の風景はそうした夢の風景ともまた少し違ったトーンで描かれている。それは堀越二郎の人生でおそらく最も幸福な時間として設定されているからだろう。
 他にも後に結婚し、棲むことになる黒川の家の庭、庭先から訪れる菜穂子の実家など、恋愛に関連したものを中心に美しい風景描写は多く見られる。視覚的な美しさだけでなく、仕事場で当時の先進的な技術に目を輝かせる若い技術者達や、夫婦が一晩中手をつなぐシーン、零戦の成功など、理想的な人間関係や仕事の成功も描かれる。逆に、仕事の失敗、スポンサーやクライアントとの打ち合わせ、結核患者の菜穂子の闘病シーン等は描写的には一瞬ほのめかされるだけである。
この映画は基本的に美しいもの、堀越の人生における美しい経験だけを抽出してつなぎ合わせている。

四、ほのめかされる存在
 しかし、少年期の夢の中で既にカプローニによって言及されていたように、堀越の夢は戦争に直結している。半分は帰ってこないだろうというカプローニの冷静な判断は、飛行機作りという夢の残酷な一面をほのめかす。また、軽井沢でカストルプが言ったように、降りたらもう戻れない魔の山・人生の絶頂期の軽井沢のあと、菜穂子の雪が降る孤独な結核療養所での治療シーンがわずかに描かれる。このシーンは、美しいところだけ見せたい=美しくないところは見せたくない、と黒川婦人に解説される菜穂子の失踪後の人生を想像させずにはおかない。
 飛行機作りの残酷な側面を「呪い」として何度も語るカプローニ、戦争へと突き進む日本やドイツの世相を軽口で語るカストルプ、重度の結核患者でありながらそのことを意識させないように毅然と振舞う菜穂子と、そのことをはっきり二郎に伝える妹。この映画は人生や世界の暗部を決して無視してはいない。むしろ、そうした暗い部分が、堀越二郎の夢に向かって邁進する姿、最後まで青年期の容姿を保ち続ける美しい青年の一途さによって逆照射される。
この映画は存在をほのめかすことによって観客の想像を掻き立て、直接は描かれない暗部を含んだ歴史の世界へと我々を誘おうとしている。

五、極限まで無駄を省いた美しい人生
 堀越二郎は夢を追う。そして、その夢の一つの到達点である零戦は、作中ではエンジンが非力なために「極限まで無駄を省いた」機体として説明されている。この説明は、この映画で描かれている堀越二郎の夢に向かって邁進する人生そのものである。最後のカプローニとの夢で、無数の戦闘機の残骸を踏み越えた二郎は「地獄かと思った」と呟く。決して直接焦点は当てないが、ほのめかされる巨大な歴史の暗部もまた彼の人生の一部であったことが、ここで明確に描き出される。だが、それをもってこの作品は、堀越二郎の人生を否定することはない。恋人に美しいところだけ見せようとする菜穂子のように、美しいところばかりを描きつつ、そこにできる影の存在をほのめかすこの映画の構造自体が、美しい青年が描いた美しい夢であり、同時に誰も帰ってこない死地に人々を送り出す兵器でもあった零戦と、それを作った堀越二郎の人生の両義性を浮かび上がらせている。
 この映画で描かれる堀越二郎は、極限まで無駄を省いた、美しさと残酷さを同居させた青年なのである。

選挙?

自民党が勝った。知ってた。

多分不幸な偶然が重なっただけ。自民党の政策が好きなのはネトウヨだけ。大半は「なんか変えてくれるかも」とかいう小泉の時と同じ理由で投票しただけ。政策とか誰もよく知らない。
アニメが三度の飯より好きな奴もアニメを規制する法律を作ろうとしてる自民党に入れるし、尖閣?竹島?どうでもいいよ、問題はケイザイだろ、と思ってる奴も憲法を変えて徴兵しようとか言ってる自民党に入れる。軍拡しても別に儲からないよね。誰が得すんだろ。

自民党はもう昔の自民党じゃない。ばらまきやって、小沢とかが金で全部仕切ってた頃の自民党じゃなくて、弱者とかはどうでもいいんで、一部の人間だけ生き残らせて他は切り捨てようぜ、みたいな事を言う感じの政党になってる。ネオリベって奴?知らんけど。多分ネオリベだかも、元々は「役に立たない奴はみんな死ね」みたいなもんじゃなかったんだろうね。

要するに誰も自分で政治をコントロールしようとか思ってないんじゃね。なんか他に政党知らんしとか言って入れてるだけじゃねーの。民主主義()って感じだよな。主役俺らって事になってるけど、誰も自分を主役だと思ってないし、事実主役でもないし、主役になんなきゃって意識も全然ないし。
右傾化してるとか戦前に戻ってるとか嘘だよな。なんも変わってねーんじゃね?

でもいいよ。知ってた。政治は政治家のものなんだよ。下々の民のものじゃない。日本はそうなの。政治家がどんだけ無茶苦茶言っても、どういう国にするかとかをきちんと説明できなくても、みんなそんなの興味ない。日本を良くしようとか誰も思わない。良くなったらいいな、良くなったらいいね?なるわけないだろw

日本は相変わらず住みにくい国のままでしょう。ことによるともっと住みにくくなるでしょう。誰のせいでしょう。自民党のせい?自民党に入れた人のせい?社会のせい?空気とかのせい?日本はええ国やねせやね。

『ジェノサイバー 虚界の魔獣』 伍

5話まとめ
☛地下の虐殺によって、弱者の犠牲の上に成り立つ悪の世界が明示される。その世界に絶望したエルは、悪の世界を壊滅させる力をジェノサイバーに求める。
クリュウの放った刺客とは地球の軌道上に作られた軍事衛星だった。
・リュウがダイアナの嫉妬によってエルから遠ざけられた事が結果としてエルの死につながる→この作品には理性への不信が根底にある。肉体の優位性や科学の否定的な描かれ方も、そういった視点から見るべきだろう。

以上全話通しての雑感を元にこの作品をまとめると、以下のようになるだろうか。
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『ジェノサイバー 虚界の魔獣』

現世否定と破壊の神 もしくは精神と肉体の弁証法

1.地獄である現世・悪の世界
・魔都香港 ・無垢な少年を殺す街 ・悪の科学者による非人間的な実験を許容する世界
・一般市民を虐殺する軍隊 ・科学者の狂気と科学の暴走 ・狂気に陥った軍医の言葉
・悪の街として描かれるアークドグランシティ
☛ジェノサイバーが破壊する世界は悪の世界として描かれている

2.精神に対する肉体の優位性と肥大化する肉体
・ダイアナの嫉妬とエレンとの力関係 ・ケネスの構想「精神と肉体の調和」 ・肉体を破壊される刑事 ・マインドシャドウは肉体に宿る ・過剰に強力な肉体を持つサイボーグ
・狂気に陥る軍医 ・軍艦と一体化するヴァジュラノイド ・嘲笑される信仰 ・手だけになって生き残るヴァジュラノイド→肉体の増殖性と自律性
・ダイアナの嫉妬とエルの死
・薬物により精神を崩壊させられるリュウ ・お願いするダイアナと、それを受容するという関係のエレン
☛肉体は常に精神に先行し、優位に立つ。肉体は暴力を司り、精神はそれを制御しようとし続けるが肉体はそれを聞こうとはしない。精神と肉体の緊張関係は、ダイアナとエレンの和解によって最後に一応止揚され、収束する。

3.滅びのイメージと美
・サイボーグ達の言葉 ・膨張し、増殖するグロテスクな身体 ・肉体と対比される精神と霊魂 ・有機物と無機物の結合
・架空の社会と地下の屍
☛三話まではグロテスクな肉体そのものへのフェティシズムと、それを破壊するカタルシスを描き、それが脆弱で無垢な精神の美しさを引き立てる構造をしている。四話以降は社会それ自体を破壊するカタルシスと、そこで残されるべき美しい存在が描かれる。

4.破壊による勧善懲悪
・悪の世界を破壊し続けるジェノサイバー ・肯定されるべき味方と破壊されるべき敵
☛ジェノサイバーは悪の世界を破壊する存在である。その悪と対比される善の存在が毎回必ず現れる。最終的に悪の全てを破壊するジェノサイバーだが、精神(=ダイアナ)と肉体(=エレン)の和解=精神と肉体の緊張関係の止揚によって、エルとリュウを生き返らせ、エルの視覚を再建する。宇宙に飛び去る前に、エルを復活させたジェノサイバーの姿にエレンとダイアナが被さるシーンがあるが、あそこでついにジェノサイバーは破壊とは違った行為をしたわけだ。それは被さっているイメージがエレンだけではなく、ダイアナが共にいるからである。

この文章は、作品を一話ずつ鑑賞し、直後に要素をまとめるという形式で書き進めた。予備知識や周辺情報は特になく、他のサイト等も見ていないが、そもそも古い作品のようだから誰も知らないかもしれない。鑑賞の動機は神山健治が作画スタッフとして参加していたというツイートによる。
出来は一話が最も優れており、以降は基本的に一話を反復しているだけのようにも見える。ただし、二話目以降がなければ作品をきちんと整理する事は困難だとも思う。その意味で二話目以降が蛇足だとは思わない。

『ジェノサイバー 虚界の魔獣』 肆

4話まとめ
・世界はジェノサイバーによって一度滅ぼされ、人類は新しい都市を作った
・アーク・ド・シティ(力の街であり悪の街でもあるのだろう)は恐怖政治と貴族の退廃がはびこる、能力主義、階級社会の社会。
・旅芸人のカップルは善良だが、騙されて逃亡者となる

☛精神と肉体の話は一段落したようで、三話のラストに象徴されるこの世は地獄であるという要素が丹念に描かれる。三話で「神はあなたの罪の全てをお許しになるはずです」と言った神父を、怨霊の子供達が嘲笑したが、宗教もこの話の中では脆弱な「精神」の側に属しているのかもしれない。

ジェノサイバーは四話では明確に「神」として描かれている。そこでは神が一度世界を滅ぼし、新たな人類によって世界が再生するという神話における神となっている。

神を信じない多国籍企業体の長だろうクリュウは、死の際にジェノサイバーに最後の挑戦者を送ったと発言しているが、最終話ではその刺客が姿を現すのだろうか。

最後のダイアナの登場と予告から、一話でほのめかされていた精神と肉体の調和による真のジェノサイバーが最終話で登場するようだ。当初は破壊それ自体を目的として描いた「ジェノサイバー」だったが、ついに破壊する物のなくなった世界で、再生の物語へと変化していくのだろうか。
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