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宣伝

昨日、このブログは全日記ブログ中約140000番目に読まれたらしい。サイヤ人の戦闘力か。記事の確認の為に私自身が一回入るので、「読んだ人」の中に相当な割合で私が入っている気がするのだが、数え方は分からない。
正直らいつべ関係や天鳳関係の人間に宣伝したら、多分一時的にであれもう少しランキングとやらも伸びるはずなのだが、なにぶん内容が内容なので、宣伝する気にはとてもなれない。
ほとんど苦労もせず手癖で書いているだけだし、何かしらの知識を披露しているわけでもない。要するに他人に見せる為の文章ではないのだ。
人に見せる為の文章を書くのは、それを読んでくれる人がいるかいないかは別にして、大変な労力を必要とするので、今はこういう日陰でダラダラしている感じの方が性に合っております。というわけで、当面140000番目位の位置取りをキープしていこうと思います。
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パッション

ここ数年随分感情的になった気がします。学部の頃と比べて物を考えなくなったからだと思います。
以前なら「あまりいい気はしないね」とか言う位で通り過ぎていたような事にカッとなったりするので、内心まずいなと思う事しきりです。物を考える上で、自分の感情というのはまず一番に横に置かれるべきものだと僕は思っているからです。自分が好きか嫌いかとか、いいと思うかどうかとか、そんな事は他人にはほとんどなんの関係もないじゃないですか。そういう要素を思考に持ち込む危険性を、僕は常に意識していないといけないと思っているので、以前より感情的になっているという自己イメージに対して危機感を持っているわけです。
僕ね、ただ利己的なだけの人間が前から嫌いだったんです。自分さえよければ他の事はどうでもいいって奴。でも、他人に「そうはなるな」って言うのは昔は面倒くさかったんですよ。他人が何を考えていようとそれを無理矢理力ずくでどうこうするのはルール違反だから「嫌い」っていう表現を使うわけで、無理矢理じゃなく議論するのならOKなわけです。でも他人と議論して何かいい事があるなんて期待していなかったんですね、昔は。それが最近はなんだか説教臭くなってきちゃって、稀に見ていて放っておけなくなったりして、この歳で老け込んじゃってまずいなあってね。
あと、最近映画とか見ていて泣けるようになってきちゃった。自分の経験と重ね合わせちゃうの。年取ると涙もろくなるって本当ですね。ほんっとやんなっちゃう。そういうの俺全然いらねえからって。
不老不死とは言わんから2~300年程度生きられる様になる技術を誰か開発してくれないもんですかねえ。まあ、これクトゥルフとかだと「終わらない苦痛の中、死ぬ事も敵わない生ける屍」にされるフラグだよね。そういうの生きてるって言わねえから!

価値のある

「楽しければ何でもいいっていう価値観にずっと抵抗し続けてた」って僕が教わった先生の一人が言ってた。
「人の心はもろい…世の中の回転に呑まれて快楽中心になると、利益効率追求機械やただの消費単位になってしまう…」と嘆いたのは漫画・攻殻機動隊の荒巻だが、我々は経済単位の一部である事から逃れられないのも事実で、それをどのように受け入れるかとか、それに振り回されないで済むにはどうしたらいいかとか、環境も人格も違う以上は個々に考えていくしかしょうがない。
なんでこんな事を書いているかというと、ニコニコで宮崎駿が「8歳くらいの男の子」について「身につけなきゃならない事が沢山あるのに(中略)カード集めたり簡単に商業主義に乗せられちゃう」みたいな事を言っていた、というのを読んだからなのだが、30歳男子児童の僕は、商業主義にどっぷり漬かって生きてきて今更無かった事に出来ないのでせめて商品の山の中からいい物だけを集めよう、と思っている。天則も麻雀も将棋もCPUゲームもエロゲもそういう意味では手放しでいい物だとは思えないし、好きだとも言えない。個別にはいいと思える物もあるけど、大半はそうじゃないから見ていてどこかで(違うなー)って思ってるわけで、感覚としては好きだしそこから快楽も得られるけれど、全肯定は出来ないのであった。
さて、さっきの宮崎駿だが、「生産と消費だと日本は消費の方が膨れあがっている」「多くの人が生産をせず消費だけしていて、それは僕から見るととても不遜な事に見える」みたいな事も言っていた。『S.A.C』を撮った神山健次が『東のエデン』の主人公に「お金を使うより、稼ぐ方が楽しい社会の方が健全だと思うんだよね」と言わせていたが、両者の間で問題意識は完全に共有されている。
一方、そういったメッセージを受け取る側の一人である僕は、生産に参加するのがしんどくて敵わない。今までのところ、積極的に再生産したいと思えるような価値が僕には見つけられていないし、これからもあまり期待出来そうにないと思っているので、労働ってなんのために労働するんだと、そんな生き方楽しいのかと、どうしてもそう思ってしまう。
そして僕はネットで、能力はあるのにこういう平凡な問題に囚われたままくすぶり続けている奴を沢山見てきた気がする。こういうペシミスティックな心象が広がっていて根が深いっていうのは今更なのでわざわざ掘り返さないけど、そりゃアカギも「なんでもっとスカッと生きねえのかな」って言うわな。すいません、大体の奴は風通しの悪いところしか知らないだけなんです、きっと。

ヤクザとマドンナ

今日はさくらこ組長のブログを読みながらたまにエロゲを進める、という優雅な1日の過ごし方をした。やっていたゲームは『マドンナ~完熟ボディCollection~』である。この取り合わせは完全に偶然なのだが、組長のブログとゲームの間に僕はある共通点を見出したのだ。
どういう事かというと、『マドンナ~』に出てくるヒロイン達は題名の通りやや歳のいった人妻だったり未亡人だったりするのだが、彼女達はそれぞれに豊富な男性経験を持ち、若い主人公と関係を持っても一時の遊びに過ぎない精神的・社会的余裕を持っている。バブル全盛期にギャルやってて100人斬りしてたけど今は二児を出産した専業主婦の人妻、みたいな。そういう有象無象の「マドンナ」達と眼鏡のオタク青年がエロい事をするゲームなのである。主人公との性交渉に浮気の背徳感とか一切感じられないし、旦那や彼氏もほぼ全く出てこないというご都合主義的な側面はあるが、最終的に彼氏か旦那持ちのヒロイン達はほぼ全員主人公とは結ばれないというところは「他者性」を感じさせていい。好き勝手やってる感じ。
僕はさくらこ組長のカジノ関係の記事は天鳳関係のブログで一番面白いと思っていて、ふと読み返したくなったのでまた読んでいるのだが、回想に出てくるカジノを取り巻く人々は組長自身も含めて有象無象の集まりという感じだ。WIKI()によるとマルチチュードっていう言葉を最初に使ったのはマキャベリらしいが、要するにこういう感じを指してる言葉なんだろう。知らんけど。
余談だけど、マルチチュードって聞くと僕は面前派を思い出すんです。面前派って僕は凄く楽観的な人達だと思うんです。だって「面前で偶然いい所引けるか運のいい横移動を待つ」とか言うんですよ彼らは。誤解の無いように言っておくと面前派でも結果を出している人は大勢いるんで、個人的に悪いとか損だとか一概に言えるレベルでは無いだろうと思っていて、むしろ技術的にラーニングしたい位ですが、ともあれこの世には自分しか頼れるものは無い悲観的な僕は、追いつめられたら「運のいいパターンを待つ」のではなく「可能な限り自分で決めにいく」わけです。
とまれ、マルチチュード云々もドゥルーズの「リゾーム」とかも、性悪説というか、人間ちゅうのはしょうもない奴らやねん、という認識が基本にあってその人間達自身の中に楽観的な救いのビジョンを見ていると思うわけです。僕はとても悲観的なのでそういう「希望に向かって走る」的な楽観的姿勢から学ぶところが有ると確信しているわけです。つまり、僕のような先制ベタオリ型の鳴き厨は面前派の感覚もラーニングしないといけないという事なんですね。
それでなんでしたっけ。ヤクザの話でしたっけ。組長の半ばフィクションであろう回想とマドンナ達の過去の武勇伝は、共に書き手やキャラの人となりを読み取れるという共通点があるわけです、という話でしたっけ。つまり組長=マドンナと、そういう事なわけなんですね。多分組長もバブル全盛期には100人斬りとかしてたんでしょう。抗争とかで。

麻雀

http://www.nicovideo.jp/watch/sm13071567

昨日これを見た。有名な格闘ゲームプレイヤーの一人が、他の有名プレイヤーとの思い出を語っている動画だ。
2:50秒辺りで、某有名プレイヤーが麻雀について「強さが分かるのに5時間かかる」と言ったそうだ。
私はこのシーンを見た時、以前から抱いていた思いを強くした。
「こいつ麻雀分かってねぇな~」というちょっとした優越感と失望感の混合物。麻雀に関する知識が普及していない事に対する軽い苛立ち。そういうものも少しは有ってもいいはずなのだが、全然無かった。
「麻雀ってすげー時間かかるよね」とそう思った。
この動画に出てくる彼らは格闘ゲームプレイヤーであって麻雀打ちではないので、格闘ゲームを基準にして麻雀を見た。そしてその結果彼、ウメハラは古巣に戻った。
私は、5時間で麻雀の実力を量れるならどんなに素晴らしいだろう、と思わざるを得ない。しかし、その「5時間」でも白黒を付けるには長すぎるようなのだ。実際に麻雀で白黒付けるには2000~6000戦必要と言われる。2000戦はかなり現実的問題と理想論を妥協させた数字だ。1日10試合打っても1月300戦である。2000戦打つまでには7ヶ月、6000戦ともなると20ヶ月かかる。
私が麻雀に本気になれない由縁だ。ほとんど無制限なほどの膨大な時間的犠牲を要求してくるこのゲームにのめり込む事に、心のどこかでブレーキをかけてしまうのだ。そしてそれを意識するたびに思うのだ。「別に俺、麻雀そんなに好きじゃないんだろうな」と。成績を見て一喜一憂するとか、配牌を見てワクワクするなんていう感覚も一応ないわけじゃない。しかし、全存在を賭けられる程麻雀を愛しているかと問われたら、NOだ。即答だ。
同じ理由で格闘ゲームや将棋なども駄目だ。時間を食いすぎる。二の足を踏んでしまう。それが足を引っ張って中途半端になる。やるなら本気でやりたいのだ。中途半端にやるのは面白くないから。
それで最近麻雀と関わるのが億劫なのだ。ネット配信との関わりも、そういうわけで疎遠になっている次第である。

嗚呼、愛すべき糞ゲーよ!潔く君を断ち切るには、僕等は長く共に居すぎた!

PS:ちなみにTRPGは大好きだ。一生を捧げても構わない位愛しているし、次に何をやるか考えるだけでワクワクしてくる。しかし、TRPGはどちらかというと「勝負」じゃなくて「表現」や「意思疎通」を大事にするゲームなので、麻雀なんかと同列には扱えないのだった。
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