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映画『CURE』

最初の方で佐久間は「殺人はいけないという価値観を持っている人間に、催眠術で人を殺させるのは無理だ」という内容のセリフを口にしている。しかし、間宮は催眠術によって人を殺人に導く。何故これが可能なのか。

間宮は本部長の藤原に「あんたは誰だ」と聞き、それに動揺する警察関係者を「最低」と評する。社会性、関係性に埋没し、それらを取り払ったところにある「本当の自分」について理解できそうもない警察関係者を間宮は軽蔑し、それとは逆に警察官でも夫でもない本音を吐露する高部を「あんたすごいよ」と賞賛する。間宮の催眠術、メスメリスムの影響を受けた儀式としての催眠術は、人間の社会的側面を剥奪したところにある「本当の自分」をさらけ出すことを目的としているので、「殺人はいけない」という社会によって形作られる倫理的規制を乗り越えることができるのである。
このように間宮の伝導によって癒され、「本当の自分の欲望」を解放させた大半の殺人者は、しかし殺人後再度社会性に埋没してしまう。殺したことを後悔し、殺人について言い訳をし、「本当の自分」を肯定しない。しかし、高部は違う。(おそらくは)重荷になっていた妻を殺し、元気いっぱいにレストランで肉を食う姿は、癒されたことで解放された「本当の自分」を満喫し、充実感にみなぎっている。間宮が高部を賞賛し事あるごとに特別視する理由は、この「本当の自分」を肯定できる存在だと見抜いたからである。
この映画では、普通に日常で生活しているように見える人々が、社会性を剥ぎ取られるといともたやすく人を殺すさまが描かれており、人間をこのように描くことで、この映画を見ている人間の日常の中にも潜在的な殺人者が潜んでいることを匂わせて終わる。
面白い映画だったが、あらゆる他者が潜在的な殺人者であるとかは、まあ当然だろという感覚もあって別段怖いとは思わなかった。屋根裏の散歩者かよって感じ。当然だという感覚がむしろやばいのか。いや、やばいな。やばいです。すいませんでした。
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