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木曜と十段位と麻雀と

冷蔵庫を開けて烏龍茶を昨晩飲み尽くした事を思い出した僕は、面倒くせえな、と思いながら買い物支度を始めた。支度といっても、部屋着をかろうじて外出可能な格好に着替えて、ポケットにビニール袋を一つ突っ込むだけで、その上今日はそのビニール袋の用意さえも必要ないときている。平日昼間だが労働とは無縁だ。起床したらブログをちょっと書いて、配信しながら麻雀をやって、飯を食って、寝る。我ながら自堕落な生活をここしばらく続けていて、いい加減そろそろ論文を書く準備を始めなければいけないな、と自戒する。これも毎日の事だ。
外は天気がいい。木曜日という事はヤングジャンプと少年チャンピオンとモーニングが出ているな、などと歩きながら考える。これからの行動予定を漠然と思い描いた次に考えるのは、麻雀の事だ。考えるというより、もやっとそちらの方に思考が流れる感じ。

昨日の麻雀は内容がそこまで悪くなかったし、順調に勘が取り戻せれば鳳凰復帰も遠くないかも・・・。
そういえば十段位戦の事を福地がネットラジオで話していたが、森山が「森山ジョンイル」と呼ばれているらしいとか、森山はプロデューサーとして有能らしいとか言っていて面白かったな。森山ちょっと見直したわ。でも、連盟ってあんな団体だったんだな。人間関係とかドロドロじゃん。連盟の利益になる事は出来るだけしないようにしよう・・・

思考はとりとめがない。友人が働いている八百屋で野菜を買い込み、その足で駅前のスーパーにハシゴする。八百屋で袋をもらっているので、スーパーでもらう必要はないという寸法だ。スーパーで袋をもらわないと2円引いてもらえる。ビニール袋の生産を減らしてコスト削減出来た分を消費者に還元する、それでビニールの消費量が減ればエコにも繋がるという論法なのだろう。まあ色々突っ込み所はあるが、好きにしたらええ、と思う。本当に本気でエコをするなんて人間には、分けても日本人には無理だろう。

好きにせえと言えば、某英雄の日記で(これの事だ→http://clubforstrangers.txt-nifty.com/pechorin/2011/11/post-5650.html)某鳳東十段が褒められていたっけ。英雄はプロになれなんて言ってたけど、梶本琢程の「麻雀プロは有名になりたいからなったっていう気持ちがどこかにあるはずだ」という配信での言葉にもある通りで、麻雀プロにとっては麻雀振興は自分が住んでいるピラミッドを栄えさせてそこから利益を得る為の、要するに自分の利益の為の行動なわけで、僕はプロがどれだけかっこいい事を言っていても好きにせえやとしか思わないだろうなあ。アカギではないけど、不合理な行為こそが人の心を打つのであって、そういう意味では僕は麻雀プロに心を打たれる事は一生無いだろうな・・・

支払いを済ませ、帰路につく。帰りは行きとは違うルートを通りたくなったので、外の大きなけやきを見上げながら迂回路を取る。ビルの3階まで届くけやきの木は、よく分からない理由で僕の目を楽しませ、その存在だけで僕の心に何かを思わせずにいられない。何故現代の我々は木や動物をこれほど偏愛するのか。これはなかなか答えのでない問題に違いない。一つだけ言えるのは、近代建築と街路樹の取り合わせは美しいという事だ。確か永井荷風が『日和下駄』の樹の章で「(街路樹が)どことは言えないが、東京に独特の趣を作り出している」といった事を書いていたと思うが、そういった感覚を今私も共有している。
かつて踏切があった立体交差に向かって歩を進める。立体交差になることで、昔踏切だった線路横の道路の車通りが著しく減った。僕はそういった、せせこましい往来に突如出現した空白のようなスポットが好きだ。昔新宿の小田急ビルの近くに信号がない横断歩道があって、そこは歩行者と自動車双方が参照すべき交通法規を見失ってとまどうような、そんな空間になっていて僕は大いに気に入っていたのだが、ある日信号が設置されてしまった。
立体交差をくぐって、車通りの少ない住宅街を抜けて自宅に帰るのがお決まりのコースだ。

思えば麻雀には無頼、非合法、アウトローみたいな社会的イメージがあって、それが僕に麻雀を打たせたのではなかったか。将棋でも囲碁でも対人CPUゲームでもなく、麻雀を選んだのはなんとなくそういった社会的イメージにシンパシーを抱いたところがあったんだろう。なんとなく自分にとって必然のルートというか、好みのパターンというか、そういうものがあって麻雀を始めたんだろう。無頼は自分を「権力の埒外」にあると定義づける事で結果として権力と、その影響範囲の境界を再生産、強化しているって論じたのは誰だったか、名前が出てこない。もっとも、既存の権力?なにそれ?と言われて久しい、中間集団が消滅した国に生きる僕たちにとっては無頼とかいった概念もクラスターを形成する為の動機付けという機能しか果たしていないのかもしれない・・・

自宅まで後2分、住宅街の真ん中で足が止まった。向かって左手のクリーム色の外壁の家、カースペースと道路を区切る柵が何か外側から強い衝撃を受けた感じに壊れている。カースペースには幼児向けの遊具が複数放置されている。車の形をした黄色いものや、他にもいくつか原色の玩具が、かなりの時間放置されている事をうかがわせる汚れ方でそこに有った。玄関の方に回ってみると、管理会社のものだろう看板が玄関に掲げられており、売り家なのだと分かった。クリーム色だっただろう壁は風雨にさらされて黒く変色しており、住む者がなくなった家は傷み方がひどいという具体例と化している。自宅に再び足を向けながら妙に感傷的な気分になった。

破れ窓理論でいうと、廃屋は治安を悪化させる元らしい。
廃屋は実際不良とか柄の悪い人間がたむろするには絶好の場所で、犯罪も多い。それで危険な雰囲気が漂って、段々人が寄りつかなくなって、その内聖なる場所になっていく。日本は多神教だから幽霊や妖怪の住処になる。キリスト教圏だとやっぱり悪魔が住んでいるんだろうか・・・

かつてそこに住んでいただろう家族の消息もどういった経緯であの家を出たかも、今の僕には想像するより他に術がない。
アパートの階段を登る。
そういえば今日は見なかったが、近所でやたら背の高い黒人をチラホラ見かける。なんとかいうプロバスケットボールチームのプレイヤーが住んでいるのだろう。チーム名が書かれた車が留まっているのも見た事がある。僕はバスケの試合を鑑賞するのが好きだが、自分でプレイする気にはならない。やるより見るのが好きなんだろう。見るのなんて退屈で、どちらかといえばやる方がいいと思うのは麻雀位だ。僕が麻雀初心者だった頃、多くの麻雀打ちに麻雀が下手であるという事をもって散々偉そうな顔をされた経験があり、将来麻雀打ちにだけはなるまいと思ったものだが、不思議な事もあるものだ。せめて麻雀上達中の皆さんを、ただそれだけの理由で蔑んだりしないように気を付けようと思っている。ベテランプロの実況解説を見ていると僕を馬鹿にした打ち手達を思い出して、そういった自戒を新たにする事が出来るという効果があるのを意識したのは、天鳳名人戦・第一節のなんとかいうおっさん達を見た時だったか。
僕の日常には麻雀が組み込まれていて、新たな知見や斬新な視点をもたらしてくれるわけでもないのに、妙に偉そうに居座っている。

帰ったらとりあえず飯を作って、それから天鳳でもしようか・・・

そんな事を考えながら僕は家のドアを開けた。
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