スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

オールラウンダー廻・鉄風・ホーリーランド・クローズ

『ホーリーランド』を読み終わって、終わり方についてちょっと悩んだ。終わり方が全然面白くなかったのだが、じゃあどうしたら面白くなっただろうか?と。
路上のカリスマが最後テレビ興行に出るほどに成功して、主人公はストリートの伝説の中で生きている、という終わり方なのだが、テレビ興行に出るという成功の仕方位しか短く分かりやすく彼らのハッピーエンドを演出出来る小道具がないのは分かる。面白くはないけど。
格闘技は普通プロでも格闘技一本では食えない。稼ぐには客を呼べる舞台に立つか、テレビに出るしかない。だからテレビに出たいと思う格闘家はごまんと居て、そこにストリートファイトに明け暮れていた伊沢が突然入っていって成功するまでにはかなりの地味な紆余曲折を経ていなければならない筈なのだが、その過程をスッポリ省くと上っ面を撫でた印象しかないのだ。経済的な意味で他に出口が無い事について僕は多少知っている方かもしれないが、それでも「ページの都合上で分かりやすくハッピーエンドを演出する形になりました」と露骨に言われたらやっぱりちょっと萎えるよね。
まあ『ホーリーランド』っていわゆる「非日常的世界」を舞台にしたヤンキー漫画で、喧嘩の強さのみに価値のある世界だから、テレビに出る側になる、というのはその意味では想像力としては凡庸でも、我々テレビを見る側からすると同じく非日常の世界には違いなく、一応ギリギリ一貫性は保てていなくもない。違和感バリバリだが、一応「アリ」だ。としておこう。この点について追求したくて仕方ないが、しても不毛なのは分かり切っているから。
で、同じくやばい終わり方をしたヤンキー漫画に『クローズ』というのがあって、これも喧嘩の強さだけに価値のある世界で野郎共が殴り合う漫画だ。こっちは微妙にうろおぼえなのだが、最終回付近で不良の一人が営業マンとして就職して先輩にヘコヘコしているのを、仲間の不良達に見られてしまうというシーンがある。仲間の不良達の反応は「何やってんだよ・・・」みたいな感じで、肩で風を切っていた不良仲間として失望落胆する。で、その後営業マンになった不良君はいけすかない先輩をぶん殴って啖呵を切って辞職するのだが、その後どうなったの?という描写はない。
『クローズ』の不良君達も別にかっこつけて肩で風を切って生きたい(それで人生を終えられるのが理想かもしれないが)と思っているわけではなくて、胸を張って生きたいだけなのかもしれない。社会人になるという事は媚びへつらってつまらない仕事を文句も言わずにやるという事と=であると『クローズ』では描かれていて、僕はそういう一面を必ずしも否定しないけれども、極端にそこだけ強調しているから嘘だと思う。また、『ホーリーランド』でうんちくと共に暗に示されていた格闘界への転身というコースを、『クローズ』では選ぶ事が出来ない。『クローズ』の世界は喧嘩の強さ以外に価値がないという事を貫徹するあまり、リアルな不良像からも大きく乖離したファンタジー世界になり、結果経済的自立という不良ファンタジーワールドと相容れない価値観についてはきちんと答えを出す事が出来なかった。
『オールラウンダー廻』ではそういった問題は曖昧に回避されない。主人公のライバル、山吹喬は小学生時代に喧嘩で負けた時「(喧嘩を売ってきた奴らを)金持ちになって見返してやればいいじゃん」みたいな事を言う主人公に対して「じゃあそれまでずっとコソコソ生きるのかよ。ゴメンだね。俺は胸を張って生きたいだけだ」と答えるし、試合に負けた廻に「僕、もっと強くなれますか?」と聞かれた師匠の古屋は「ああ、でもな、格闘技強いだけじゃ偉くもなんともねーぞ」と言ったりする。
4巻の巻末では作者が「格闘ブーム」は既に終わっており、日常の中で粛々と格闘技を続けていく人だけが残って格闘技を「文化」にしていく。(格闘技ブームのような)お祭りは玉にでいい、と書いている。空手青年がヤクザを相手に大立ち回りを演じるなんていう描写もあるが、格闘シーンも人物描写も基本的に極めて「リアル」である。こういう言葉は使いたくないのだが。
それも、この漫画がヤンキー漫画ではなく格闘技漫画である事が理由だろう。格闘技を取り巻く現状を描くとどうしても勝った負けただけで完結させられなくなる。同じ格闘技漫画で、女子格闘技をあつかった『鉄風』では、アマ修斗を扱った『オールラウンダー廻』と違って、興行の話が一つの軸になっている。女子格闘技というのは格闘技界の中でも特に日の目を見にくいジャンルだから、という作者の問題意識も有るだろうし、『鉄風』という作品自体も多分「天下一武道会」じゃないが、大きな興行で登場人物達を競わせるというハッタリがないと成立しない漫画なんだろうと思う。
どういう事かというと、がねこという身長の低い空手家(ゲジゲジ眉毛・ポニテ・やや自分勝手=可愛い)と身長が高い主人公が体育館裏で真剣勝負をするシーンが有るのだが、背の低いがねこのハイキックが、頭一つ高い主人公がバックステップ気味のスウェーをしたにも関わらず顎を捉えていたり(寸止めだが)、物理的にこれは有り得るのか?と思ってしまうシーンを構図や漫画的ハッタリで成立させている部分がこの作品にはある。別に悪い事ではなくて、例えばジャンプの某見開き漫画などはキャラクターとこれだけを突き詰めた作品とさえ言えるのでは無かろうか。漫画はエンターテイメントとして成立すれば基本的に問題の無い世界である事は言うまでもない。

余談だが、『オールラウンダー廻』の主人公、高柳廻は実によく考えられたキャラクターだ。日常というテーマをうまく表現出来て、総合格闘技の技術的な部分に光を当てる、という二点を両立する為にデザインされたキャラクターだ。彼は「どこが凄いのか分からん」事が作中人物によってたびたび強調されるように、目立った長所がない。フィジカルも強くないし、サイズが大きいわけでもなく、飛びぬけて優れた技術も持っていない。人物像も平凡で大したトラウマも過去もなく、歳不相応な苦労もしていない。そして、選手としては技術を習得するという点に才能を見せるテクニカルファイターである。これによって、知らない人間にとっては「非日常」と認識されるだろう「総合格闘技の世界」と我々の日常を、廻を描くだけで無理なく橋渡しする事が出来るようにしている。
実際の総合の試合では俗に「フィジカルが強い」といわれる選手が技術的優劣を無効化して勝つパターン(しょっぱい試合って奴だ)が結構多い気がするので、その点この作品はやや技術的要素に傾斜している観がなきにしもあらずだが、実際の試合でもありそうなシーンが多くて、試合を見ている臨場感が感じられる貴重な作品だと思う。

というわけで、メジャー指向の強い『ホーリーランド』『鉄風』、あくまでファンタジー世界に殉じる『クローズ』、日常を描く『オールラウンダー廻』とそれぞれ特色があり、その違いは色々読む事で見えてくる事もあるんだなあ、と思った次第である。
最後に最初の疑問に立ち戻って終わろう。「ホーリーランドの終わり方はどうすれば面白くなったか」だが、終わり方は多分あれしか無い。だから作品の構造的に面白くなりようが無かった!という事で結論としたいと思う(ォィ

HAGANEの動画を投稿した事

動画を投稿した。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm16257714

↑これです。よろしくお願いします。

なんと面倒な作業かと痛感させられた。配信は楽でいい。
まず動画を撮影しないといけない。今回の場合はゲームのプレイ動画で、これは1時間ゲームをするだけでいい。まあ気に入らなければ撮り直す事もあるだろうが、ゲームをやっているわけだから楽なものである。
次にそれをアップロード出来る形式に編集しなおす。この行程で8時間位かかった。あほか。
最後にそれをアップロードする。これは1時間位かかっただろうか。合計で10時間はかかっている。完全に1日仕事だ。
そうした苦労の割に、マイナーなゲームという事もあって、誰も見に来ないのが少し寂しい。まあ大々的に宣伝する気はないし、仕方ないけど。

最近、配信(麻雀など)、ブログ、ゲーム(投稿含む)のどれかを飽きるまでやって、飽きたら他の事に時間を使うというサイクルが出来つつある。魔法中年暇つぶしトライアングルと名付ける事にする。
実に危険である。理論上、私の立場で暇な時間など有り得ないのだ。遊んでる暇があったら研究進めろ、本読めって感じ。というか、そっちもある意味遊びで、楽しいからやる感じなんだけど、やっぱり「本業」みたいに肩肘張っちゃうと気軽には出来なくなっちゃうんだよね。という事で、気軽に研究するくせを付けようと思う。思っているだけで別に具体案があるわけではないのだが、日に二時間とかでも毎日やる事が大事なので。
僕は多分根が結構生真面目なんだろうと思う。ブログは毎日更新しないと!とか割と思ってしまう方なのだ。しかし、一方で根が怠け者だし、ネタも段々枯渇してくるから、そのように構えてしまっては長く続かない。思い出したように更新するのが僕にとっては現実的なんだろう。

ホーリーランドと麻雀

ホーリーランドを読んだんです。それで、ホーリーランドの世界で唯一の価値になっている「誰が喧嘩が一番強いか」って、関係ない人には全く関係のない価値だよね、という感想を持ったわけですが、今回はそういう感じの話です。

ホーリーランドはストリートファイトの話だが、天鳳や格闘ゲームや、その他いわゆる競技的性質を持つものに関わる人間達の間では、すべからくこういう「誰強」話はされている。その界隈では基本的に強いとされている奴程リスペクトされる。なんとも分かりやすい。
思えば小学校でも中学校でも高校でも(人によっては大学でも)、スクールカーストというのは有ったと思う。スクールカースト内では何に価値があるかではなく、誰が影響力を持っているかで力関係が決まるところがあると思う。そういう意味では色々な価値観が属人的な力関係の中で錯綜している印象。だから、「学校では輝けないけど、僕の居場所は○○にある」みたいなケースが沢山あるんだろう。
喧嘩が強いは男子のスクールカースト内で価値を持つ事も結構あるかもしれないけれど、格闘ゲームが強いとか麻雀が強いとかいった特技はあまり価値を持たないだろうしなあ。

というわけで、学校なんかでは色々な価値観を持った奴らが集められて奇妙な秩序を作り出していたいたものだが、何に価値があるかという点に関しては結構多彩だったと思う。カースト内では周縁的な扱いをされるものでもやってる奴はやってるわけで、まあ馬鹿にされたりいじめの種にされたりするかもしれないが、好きな奴はそういう目にあって卑屈になったりしながら続けるわけ。好きなんだから仕方ない。
で、その内「同志」を見つけて自分が価値を持つ島宇宙を作っていったりする。他人事だが、多分これが出来ないとしんどいだろうなあと思う。単純に寂しいからとかいう事ではなく、自分や周囲を相対的に把握出来ないんじゃないかと思うので。ラカンかよ。

そう思うとやっぱり学校ってしんどいところだったなあと思う。僕は高校までだったけど自分にとって価値のないものに、小中高と延々付き合わされ続けたんだから。12年ですよ、12年。まあ、じゃあ今は何に価値を見出してるのかと聞かれるとうまく答えられないんだけれども。
仕事もそうで、これは金がもらえるから仕方なくやるわけだが、正直自分の携わる業務の内容に価値を見出している人とかどれだけいるのか。いるとしてそれにどれだけ根拠があるのか。まあ根拠なんて要らないんだけどね。ただそれが嘘っぱちだとしたら本人も薄々気付いてはいると思うけど。
余談だが、配信って自分の「同志」を集める為の出店みたいなもんなんだな、と思う。配信サイト自体が一定規模のユーザーを抱えていて、その大島宇宙の中で趣味ごとの小島宇宙が形成される。手っ取り早く人数を集められるが、ネット環境という事で、好むと好まざるとに関わらず顔を合わせざるを得ないみたいな濃厚で面倒な人間関係にはならないし、便所の落書きみたいなものとも付き合わないといけないという事で、それが楽しい体験になるかは個人差があるだろうが。

結局どうでもいい面倒くさい事とは縁が切れないんで(好きな事を仕事にしてもこれは変わらないはず)、そういうつまらないあれこれとうまく折り合いを付けながら居心地のいい島宇宙にはまっていく事になるわけですが、そっちの方も狭い世界で、その事を内部の人間は痛いほど分かっているので(天鳳に対するガチ勢の屈折などはこういう所から発生する)同志に対しては比較的優しいわけ。だから、あるジャンルに対する技術的な事だけを感情を差し挟まずに言えて、それがあまり感情的に受け取られない人間は結構島宇宙にとっては大事だと思う。そういう意味では僕は「感情的に受け取られない」の部分が駄目なようだ(笑)
またしても余談なのだが、ストリートファイターⅢ3rdで有名なこくじんが今度のクーペレーションカップに際して「3rdユーザーのクラスターが崩壊の危機に瀕している」ので「もう一度3rdを盛り上げるようご協力お願いします」と配信で発言していておおっと思った。共同体の一員であると自覚した上で、その共同体を守ろうとしているという意味で実に共同体主義的。いや、必ずしも悪い意味ではないというか、むしろここでは褒めている。是非頑張ってもらいたいものだ。

というわけで最後に現在の麻雀界における天鳳の価値をあげておこうと思う。
1.実力本位である
・ある程度のメンバーの選抜が行われている
・長期の成績を容易に算出できる=実力をはっきりさせやすい
2.システムが洗練されている
・牌譜の参照機能が他サイトと比べて使いやすい
 *様々なブラウザで牌譜を開ける
 *プルダウン式で特定の局面に速やかに移動出来る
 *手出しツモ切りの暗転が可能、他家の手牌の開閉が容易(手牌読みの確認など)、牌山公開機能付き(山読みなど)

天鳳運営にはこういった辺りを堅持していただきたい。特に1が大事で、こういった環境は現状天鳳にしか存在しないからである(勿論天鳳が競合サイトを食っているからだが)。2は1の価値観を上手く補完出来ているという点が優れているとも言える。

麻雀プロのタイトル戦をぼさっと見ていると、実にもやもやした気持ちになる。プロが弱いとは僕は思わない。だが、今の麻雀プロは麻雀島宇宙限定のタレントでしかないし、タイトル戦はそのタレント達がCMタイムを賭けてくじ引きをしているだけである。その事自体が悪いとは思わないけど、競技を名乗るなと思う。タイトル戦を囲む4人だかの中で、誰が本当に一番強いと言えるのか?タイトル戦の結果を見れば分かるって本当に信じている奴がプロの中にどれだけいるのか?もしかして、沢山いるんだろうか…
プロは何千戦も打って、その結果でタイトル獲得者を決めろよと思う。その為に形式を変更していけよ、少しずつでいいから。それが無理ならどんな事情が有ろうと競技を名乗るな、といつもそう思って見てしまう。そういった事を全部分かった上で麻雀プロをやっている人達は、何を考えて団体にお布施をして、休みを潰して参加しているのか。何か楽しい事でもあるのか、有名になりたいのか…。分からない。

理屈と行動

大学院に合格した事を伝える為に通っていた予備校に電話してから、もう3週間程経っている。
電話した時に「合格体験記を書いてくれないか」と言われて最初渋った。面倒くさかったのだ。「それって書かなきゃいけないんですか?」と聞きさえした。しかしまあ世話にもなった事だし書くか、と思って最終的には「分かりました」と言ったのだが、それから全く手を付けていない。
送られてきた手紙に字数の指定などが一切無いとか、内容の指定が漠然としすぎているとか、そういう些細な部分が気になるからではなく、もっとシンプルに僕のやる気の問題だ。それでズルズル伸びたままになっている。
書くならいい加減なものでなく、面白いものを書きたい。中途半端なものは書く気にならない。などと思っている時点でそりゃ書けないだろう。文章というのはともかく書いて書いて書きまくらないと上手くならないだろうから。勿論何も考えずに書いていればいいというものではないと思うが。僕のようなアマチュアはまだ、ある内容を書く時にどのような書き方をすればより効果的に書けるか、などといった課題に直面するレベルには無いだろうから、とりあえず書き垂れるしかないんじゃないかと思う。根性論か精神論か、自分で言っててアホらしくなってきた。
僕は頭でっかちなところがあって、行動より理屈が多いから特にそう思うんだろう。
僕は考えられる事は全部考えて、その上で行動するのが理想だと思っている。実際、行動あるのみ!とか果断に!とか言ってる政治家にはろくなのがいないではないか。じゃあマシなのはどこにいるんだ、という質問は受け付けない。政治の力は強力で、これ無しでは事態を好転させられない事も沢山あるのだが、その力はそれを使ってこの国をどういう国にするかというビジョンとセットでないと使えないのだ。それも、特定の誰かだけ得をするようなものでは駄目で、出来るだけ誰にも割を食わせないようなものでなくてはならない。そのためにはあらゆる要素を考慮に入れて・・・いかん、何も出来なくなってきた。まあそういう事だ。
要するに最初から完璧なものを想定するから駄目なのだ。人間、なにかをすると必ず問題が起こってくるもので、その時にどこがどうまずいかを誰かが言わないといけない。言われた側はその批判をバランスよく吸い上げていかないといけない。適宜そうやって状況を最適化させていくのが結局最善なんじゃないかというのが、カウンターパワーという概念だったと思うのだが、言ったのは誰だったか・・・最近物忘れが激しくていけない。
体制に対して発言力や、そもそも発言方法を持ち得ない連中もいて、そういう奴らを体制に組み込んで発言権を与えつつ同化していくのが本当にいいのか、という議論もある。なかなか難しい問題だが、まあそういった事を考えたい人はスピヴァクという人の本を読むといい。僕には荷が重い。

なんの話だったか・・・そう、合格体験記をさぼっているという話だった。完璧なものを書こうなどと意気込まず、ちゃっちゃっと書いてしまおう。超つまらなくなりそうだけど・・・。

木曜と十段位と麻雀と

冷蔵庫を開けて烏龍茶を昨晩飲み尽くした事を思い出した僕は、面倒くせえな、と思いながら買い物支度を始めた。支度といっても、部屋着をかろうじて外出可能な格好に着替えて、ポケットにビニール袋を一つ突っ込むだけで、その上今日はそのビニール袋の用意さえも必要ないときている。平日昼間だが労働とは無縁だ。起床したらブログをちょっと書いて、配信しながら麻雀をやって、飯を食って、寝る。我ながら自堕落な生活をここしばらく続けていて、いい加減そろそろ論文を書く準備を始めなければいけないな、と自戒する。これも毎日の事だ。
外は天気がいい。木曜日という事はヤングジャンプと少年チャンピオンとモーニングが出ているな、などと歩きながら考える。これからの行動予定を漠然と思い描いた次に考えるのは、麻雀の事だ。考えるというより、もやっとそちらの方に思考が流れる感じ。

昨日の麻雀は内容がそこまで悪くなかったし、順調に勘が取り戻せれば鳳凰復帰も遠くないかも・・・。
そういえば十段位戦の事を福地がネットラジオで話していたが、森山が「森山ジョンイル」と呼ばれているらしいとか、森山はプロデューサーとして有能らしいとか言っていて面白かったな。森山ちょっと見直したわ。でも、連盟ってあんな団体だったんだな。人間関係とかドロドロじゃん。連盟の利益になる事は出来るだけしないようにしよう・・・

思考はとりとめがない。友人が働いている八百屋で野菜を買い込み、その足で駅前のスーパーにハシゴする。八百屋で袋をもらっているので、スーパーでもらう必要はないという寸法だ。スーパーで袋をもらわないと2円引いてもらえる。ビニール袋の生産を減らしてコスト削減出来た分を消費者に還元する、それでビニールの消費量が減ればエコにも繋がるという論法なのだろう。まあ色々突っ込み所はあるが、好きにしたらええ、と思う。本当に本気でエコをするなんて人間には、分けても日本人には無理だろう。

好きにせえと言えば、某英雄の日記で(これの事だ→http://clubforstrangers.txt-nifty.com/pechorin/2011/11/post-5650.html)某鳳東十段が褒められていたっけ。英雄はプロになれなんて言ってたけど、梶本琢程の「麻雀プロは有名になりたいからなったっていう気持ちがどこかにあるはずだ」という配信での言葉にもある通りで、麻雀プロにとっては麻雀振興は自分が住んでいるピラミッドを栄えさせてそこから利益を得る為の、要するに自分の利益の為の行動なわけで、僕はプロがどれだけかっこいい事を言っていても好きにせえやとしか思わないだろうなあ。アカギではないけど、不合理な行為こそが人の心を打つのであって、そういう意味では僕は麻雀プロに心を打たれる事は一生無いだろうな・・・

支払いを済ませ、帰路につく。帰りは行きとは違うルートを通りたくなったので、外の大きなけやきを見上げながら迂回路を取る。ビルの3階まで届くけやきの木は、よく分からない理由で僕の目を楽しませ、その存在だけで僕の心に何かを思わせずにいられない。何故現代の我々は木や動物をこれほど偏愛するのか。これはなかなか答えのでない問題に違いない。一つだけ言えるのは、近代建築と街路樹の取り合わせは美しいという事だ。確か永井荷風が『日和下駄』の樹の章で「(街路樹が)どことは言えないが、東京に独特の趣を作り出している」といった事を書いていたと思うが、そういった感覚を今私も共有している。
かつて踏切があった立体交差に向かって歩を進める。立体交差になることで、昔踏切だった線路横の道路の車通りが著しく減った。僕はそういった、せせこましい往来に突如出現した空白のようなスポットが好きだ。昔新宿の小田急ビルの近くに信号がない横断歩道があって、そこは歩行者と自動車双方が参照すべき交通法規を見失ってとまどうような、そんな空間になっていて僕は大いに気に入っていたのだが、ある日信号が設置されてしまった。
立体交差をくぐって、車通りの少ない住宅街を抜けて自宅に帰るのがお決まりのコースだ。

思えば麻雀には無頼、非合法、アウトローみたいな社会的イメージがあって、それが僕に麻雀を打たせたのではなかったか。将棋でも囲碁でも対人CPUゲームでもなく、麻雀を選んだのはなんとなくそういった社会的イメージにシンパシーを抱いたところがあったんだろう。なんとなく自分にとって必然のルートというか、好みのパターンというか、そういうものがあって麻雀を始めたんだろう。無頼は自分を「権力の埒外」にあると定義づける事で結果として権力と、その影響範囲の境界を再生産、強化しているって論じたのは誰だったか、名前が出てこない。もっとも、既存の権力?なにそれ?と言われて久しい、中間集団が消滅した国に生きる僕たちにとっては無頼とかいった概念もクラスターを形成する為の動機付けという機能しか果たしていないのかもしれない・・・

自宅まで後2分、住宅街の真ん中で足が止まった。向かって左手のクリーム色の外壁の家、カースペースと道路を区切る柵が何か外側から強い衝撃を受けた感じに壊れている。カースペースには幼児向けの遊具が複数放置されている。車の形をした黄色いものや、他にもいくつか原色の玩具が、かなりの時間放置されている事をうかがわせる汚れ方でそこに有った。玄関の方に回ってみると、管理会社のものだろう看板が玄関に掲げられており、売り家なのだと分かった。クリーム色だっただろう壁は風雨にさらされて黒く変色しており、住む者がなくなった家は傷み方がひどいという具体例と化している。自宅に再び足を向けながら妙に感傷的な気分になった。

破れ窓理論でいうと、廃屋は治安を悪化させる元らしい。
廃屋は実際不良とか柄の悪い人間がたむろするには絶好の場所で、犯罪も多い。それで危険な雰囲気が漂って、段々人が寄りつかなくなって、その内聖なる場所になっていく。日本は多神教だから幽霊や妖怪の住処になる。キリスト教圏だとやっぱり悪魔が住んでいるんだろうか・・・

かつてそこに住んでいただろう家族の消息もどういった経緯であの家を出たかも、今の僕には想像するより他に術がない。
アパートの階段を登る。
そういえば今日は見なかったが、近所でやたら背の高い黒人をチラホラ見かける。なんとかいうプロバスケットボールチームのプレイヤーが住んでいるのだろう。チーム名が書かれた車が留まっているのも見た事がある。僕はバスケの試合を鑑賞するのが好きだが、自分でプレイする気にはならない。やるより見るのが好きなんだろう。見るのなんて退屈で、どちらかといえばやる方がいいと思うのは麻雀位だ。僕が麻雀初心者だった頃、多くの麻雀打ちに麻雀が下手であるという事をもって散々偉そうな顔をされた経験があり、将来麻雀打ちにだけはなるまいと思ったものだが、不思議な事もあるものだ。せめて麻雀上達中の皆さんを、ただそれだけの理由で蔑んだりしないように気を付けようと思っている。ベテランプロの実況解説を見ていると僕を馬鹿にした打ち手達を思い出して、そういった自戒を新たにする事が出来るという効果があるのを意識したのは、天鳳名人戦・第一節のなんとかいうおっさん達を見た時だったか。
僕の日常には麻雀が組み込まれていて、新たな知見や斬新な視点をもたらしてくれるわけでもないのに、妙に偉そうに居座っている。

帰ったらとりあえず飯を作って、それから天鳳でもしようか・・・

そんな事を考えながら僕は家のドアを開けた。
プロフィール

魔法中年

Author:魔法中年
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。